書道家 金田石城|作品

“墨の魔術師” SEKIJYO KANEDA rakkan.jpg 
【書道家】 金田 石城

 
sho.jpg作品のパワーをいかにあげるかということは、作家にとって最大のテーマである。そこに何を描くかというよりも、何を存在させたいのかという精神が重要である。これは根本的な視点である。とすれば、当然のことながら表現テクニックは二の次になる。たかが書、されど書とは、このことである。作品のエネルギーをあげるのには、環境が大きな影響を持つ。その点で石城は、さまざまな挑戦をしている。特に作品づくりの持つスケール観は、作品のパワーにつながる。

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ga.jpg石城の画が、他の画家と違うのは、筆が生みだす線表現によって作品づくりがなされているという点にある。筆は生きもので、そこから引き出される線は、一瞬のよどみも許されない。石城の筆使いは、多種多様で、目的によって、様々な技法をくりだす。石城の画に師匠はない。無手勝流であるが、それが逆に個性を確立する。画に書を配することで、独自の作風を醸しだす。その一体感は、常に書画と同じレベルを保つべきだとする石城の主張が見える。

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着 物  
 kimono.jpg石城の着物は、正真正銘の一点物である。作品は、制作台に仮ぬいの布地を張りつけ、キャンバスに見立てて一気呵成に書く。そこから生まれる筆のタッチが生みだす墨の濃淡潤滑は、二度と再現できないものである。きものを制作するにあたっては、下絵はなく、下絵は常に石城の胸中にあり、イメージがふくらむと、それが一気に火を吹く。デザイン・色彩は、現実的写実を拒否して、自在な柄として描かれる。そこにこそ、きものロマンが存在すると考えている。

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陶 器  
touki.jpg石城は、少年時代を陶芸の町“益子”の近くで過ごした。石城が陶芸に手を染めるようになったのは、二十四才のとき、陶芸家の浜田庄司翁のもとに伺ったことにはじまる。その丁重な庄司翁の人間性に魅かれ、陶芸に興味を持つようになった。石城の陶芸は、書と同じで作風は、自在で、「土の塊」という言葉があてはまる。絵付も、ある時は繊細に、ある時は大胆にくりひろげられる。「美しさがあれば用途は退歩してもいい」とは、陶芸に対する石城の言葉である。

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タイトル・テレビCM  
title.jpg石城が映画のタイトルを初めて手がけたのは角川春樹監督の依頼による「天と地と」であった。その二十年後、同監督の「蒼き狼地果て海尽きるまで」「椿三十郎」のタイトルを再び手がけた。永い年月の中で一人の書家に一貫してタイトルを依頼するということは、映画史上あまり例のないことである。これは、角川春樹監督の金田石城の書へのおもいがもたらしたものに他ならない。書の商業美術としての映画タイトルを書くことに、石城は誇りを持っている。

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作品の見える風景  
fukei.jpg書と建築は深い関わりがあり、作品はそのオーナーや企業イメージ表出に重要な役割を果たしている。石城の作品はほとんど大作で、その力感に触れることができる。
 

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